重巡洋艦「天鋼」型一番艦の詳細
「天鋼(てんこう)」は、1944年のマリアナ沖海戦後、旧日本海軍が構想した超重装甲・超重量砲装備の重巡洋艦である。
実在の「最上型」「高雄型」といった重巡をベースにしつつ、戦況悪化のなか、"一撃離脱による決戦主義"を極限まで追求した設計思想から生まれた。
正式な配備はされなかったが、図面上では「空母群に単艦で突撃し、敵旗艦を撃沈する」ことを目的としていたとされる。
設計思想
「天鋼」は、アメリカ海軍のレーダー・航空主力化を受け、「艦隊決戦」への幻想を最後まで捨てられなかった日本海軍上層部の意図が色濃く反映されている。
最大の特徴は「重巡」の分類ながら、40.6cm三連装砲を2基(計6門)を装備していたことで、これは当時の戦艦「長門」級に匹敵する火力である。
さらに、艦橋前方に防空用の12.7cm連装高角砲×6基、そして艦尾部には93式酸素魚雷発射管(4連装)×4基を搭載。
防御面では、重巡でありながら舷側装甲厚250mm、甲板装甲90mmとされ、米空母艦載機による急降下爆撃にも耐えることを前提に設計された。
スペック
排水量 | 17,000トン(公試状態) |
全長 | 232m |
最大速力 | 33.2ノット |
主砲 | 40.6cm三連装砲×2 |
高角砲 | 2.7cm連装高角砲×6 |
機銃 | 25mm三連装機銃×20基 |
魚雷 | 93式4連装発射管×4(装填魚雷あり) |
艦載機 | 無し |
乗員 | 950名 |
開発経緯と運用想定
1943年、ソロモン諸島での夜戦戦果を最後に、日本海軍は継戦能力を著しく失い始めた。
これに危機感を持った海軍技術本部が、現存兵器に代わる“奇策的決戦兵器”として発案したのが「天鋼」計画である。
当初は「空母護衛型重巡」として設計が進められたが、度重なる空襲と輸送力の喪失により計画は頓挫。
だが1944年、レイテ沖海戦の敗北後、「敵空母に突撃し主砲一撃で撃沈する“自爆巡洋艦”」という極論に方向転換され、最終設計案では艦首装甲に爆弾形状の鋳造装甲鋼板を採用し、衝角戦(ラム戦)すら視野に入れていたという。
未完成に終わった幻
実際には1945年3月、広島県呉市にある海軍工廠で1番艦の艦体起工直前に終戦を迎えたため、建造は行われなかった。艦首部のみ試作されたが、GHQによって破壊・資料も処分されたため、詳細は一切現存しない。
だが、戦後に発掘された旧海軍技術者の回想録にはこう記されていたという。
「“天鋼”とは、天に届く火力を持ち、鋼鉄のように沈まぬ艦という意味で名づけられた。海に沈むには、あまりにも重すぎる夢だった。」
評価
「天鋼」はその時代性と絶望的戦況の中で生まれた、旧日本軍の“最後の火力信仰”の象徴とも言える。
計画そのものは実現せず、兵器としての合理性には疑問も残るが、工業力・技術力の粋を詰め込んだ“空想の産物”として、兵器史の片隅に語り継がれてもよい存在である。